圏合宿

http://d.hatena.ne.jp/hiroki_f/20090813/1250129085

に参加してきました。

テキストは層・圏・トポス(竹内外史著)で、米田の補題手前まで。

相変わらず数学の本ていうのは「書いている事をそのまま理解する」事が大事だよなーというのを感じたり。
あとは、圧倒的に具体例が少なくて、そもそも圏論てそういう具体例を抽出して調べる部分であるのだから、訓練として具体例ありきだろ見たいな事をもんもんと思っていました。

以下色々考えていた事を書き散らします。

圏論は、対象構造を直にまさぐらずに、その外から眺めるという意味でも集合とは雰囲気が違うなーと。
要素と関数という意味では、「関数という記号」で関数の実装を隠して/棚上げして話を進めると似た事に実際出来ていて、更にそれを徹底した感がある。

でも別に圏論学んでそれを何か(ことHaskellモナドの何かとか)に活かしたいとか、生き急ぐかつ死に急ぐことは全く考えてないので、数学さんに対する接し方としては何か心得て来たのかなー。

基本的に数学のやり方は具体物を客観的に眺めるとか、統一的に考えるとかで、一応直観とか納得に沿う部分はあると思うんですが、基本数学の言葉(論理とかなにやら)でガンガン推し進めれば勝ちみたいな、そこが凄く好きじゃないです。
好きじゃないというか、分かり合えない感じですね。いや、分かりたくても分かれないのか。
その意味では、コンプレックスかも。
圏論はその中でもぶっ飛んでて、イカレテル。

それと、ある程度強力な具体物の奴隷としての抽象物であるならば、具体物やってる方が良いんじゃないかなーと思っていて。

例えば、プログラミング言語の意味論としての表示的意味論(数学という名の記述言語で意味を表す[適当])では、領域理論(domain theory)というのがあって、こいつは集合ベース(数学は大体集合ベースらしいですが)です。
一方、表示的意味論の道具として圏論を使ってみましょう、なんていうのもある(らしい)んですがその時圏論さんは領域理論さんの奴隷になってるっぽくて、それなら領域理論で良いんじゃないかと。

領域理論を圏論で整理しなおして、双方で発展させてお互いに還元させていくというアプローチは有効なのかな。

ところで折角勉強しても使えなくては意味が無いです。(でもこれは生き急いでるよなー)
使えなくては意味が無い、というのは、使う過程で何が分かって無いのか分かりますし、そもそも使うっていう事は重要な感覚である慣れを身に付けるという事でも必須です。

で、数学を数学で理解するとか狂気の沙汰なので計算可能な何かのアプローチでどうにかしたいのですがという事で、

http://ci.nii.ac.jp/naid/110002721963/

http://ci.nii.ac.jp/Detail/detail.do?LOCALID=ART0004921010&lang=ja

なんて読んでるんですが、さっぱり意味が分かりませんですねーという・・・。

合宿自体は大変楽しかったです。内容も充実してましたし、かっくいいTシャツも買えましたし。

定期的に(一回あたり7,8時間行うそうです)集まって勉強会やれているのが羨ましい限りです。